“救急×家庭医療”の両立を目指す

“救急×家庭医療”の両立
今回は近江八幡市立総合医療センター/滋賀家庭医療学センターの徳田嘉仁先生にお越しいただき、インタビューをさせていただきました。徳田先生は、救急専門医と家庭医療専門医のプログラムを同時並行で履修され、“救急×家庭医療学” “ICU×看取りケア”を自身の理念に掲げ、日々奮闘されています。本日は“救急×家庭医療学という観点から、徳田先生に、それぞれの魅力やご自身にまつわるエピソードをお聞きしました。
【徳田嘉仁先生:近江八幡市立総合医療センター/滋賀家庭医療学センター】
 

最初から医学部を目指していたわけではなかった

徳田先生は、なぜ医師になろうと思ったのでしょうか?

実は、最初は医学部を目指していたわけではないんです。
僕の通っていた高校は、全く進学校ではなくそもそも大学に進学すること自体無理だと思っていました。
ところが、高校三年生の時のある日、親友に「徳田、お前は医師になるべきだ。」と言われました。
その親友は医師である父親を若くして病気で亡くしていたんです。
僕の親も医師で、何か思うところがあったんだと思います。

一番の親友にそう言われて、素直にその道を目指してみようと思いました。
高校時代はまったく勉強をせずに過ごしたので、二浪してしまいましたが、なんとか大阪医大に進学しました。

どのような学生時代を過ごしていたのでしょうか?

大学6年間は勉強せずに過ごしましたね(笑)
軽音部・塾講師のバイト・麻雀・フジロック・写真など課外活動にいそしんでいました。
ですから、決して真面目とは言えない学生でした。
でも、役に立ったこともあって、6年間続けた塾講師のバイトでは、人に教える力というのがすごく身につきました。

これは、初期研修の子に教える時のテクニックや、こうしてAntaaで、オンライン配信の講師として話す時など、今にすごく活きていますね。
また、沖縄で2か月間ゲストハウスに住み込みで働いていた時があって、そこで出会った人たちや、麻雀をやってなかったら知り合ってもいなかったおっちゃんとの会話など、振り返ってみると、今多くの背景を持った患者さんたちと楽しくお話をする為の基盤がここで形成されたのかもしれません。

どこで研修するかより、誰と研修するかが大切だと考えた

初期研修を沖縄でされたという事でしたが、なぜ沖縄を選んだのでしょうか。

実は、僕は学生の間に、車で47都道府県を周る旅をしていまして、初期研修は、47都道府県の中で1番楽しかった所で働こうと決めていました。
後期研修になると、地域で選ぶというよりも、自分の専門領域の有名な病院を選ぶし、その後は地元に戻ったりすることを考えると、自由に好きな所に住めるのは初期研修だけだなと思い、訪れて一番楽しかった沖縄を選びました。

学生時、すでに2か月住み込みしてたくらいですからね(笑)。
ですから、もちろん他にもたくさん理由はありますが、まずは住む場所から決めて、病院を選びました。

沖縄で病院研修をする病院はどのように選びましたか?

僕は直感で選ぶタイプなので、実は、病院見学は一つしか行っていないんです。
どこで研修するかより、誰と研修するかが大切だと思っていたので、一緒に働くことになる初期研修1年目の先輩たちの人柄を重視して決めましたね。
訪れた病院の先輩たちがすごくいい人たちだったので、“この人達ならしっかり教えてくれそう”と思い病院を決めました。

初期研修はいかがでしたか?

正直きつかったですね(笑)。
同期が3人も国試落ちして当直が回らず、さらにちょうど僕が入職する前月に救急医が一気に5人も辞めてしまい、救急科が崩壊するという事件がありました。
なので、月に当直が 11 回あるときもあって。
でも、おかげで、今救急医ができているのかなと思います。
僕の同期は、僕も合わせて4人が救急医の道に進みました。
逆境って大事だなあって思ってます。

あとは、総合診療の先生が特に厳しくて、夜間研修医が診た患者さんのカルテを全てチェックして、自分が前日に診た患者さんを呼び戻して“入院してもらっておいたよ”と一言だけ言われたり。
今思うと、愛だなと思いますけど、怖かったですね(笑)。

全ての当直のカルテを先生が見ているから、「ここは確かめておかないと怒られるな…」とか、「もう一度さっきの検査の結果確認しよう」とか、「もう一度患者さんの肺の音を聞きに行ったりしよう」とか、先生に常に見られているという感覚で仕事していましたね。
今でも、先生に見られているのでは?と思うくらい、この感覚は、体に染みついていますね(笑)。

当初は、すごくキツイと思っていましたが、今考えると、この厳しさのおかげで真摯に患者さんに向き合える基盤ができましたので、感謝しています。

徳田先生は、初期研修の頃から家庭医療を目指していたのですか?

いえ、初期研修のときは「家庭医療」の「か」の字も知りませんでした。
そしてベースは今も変わらず救急医です。

ただ、医師3年目、救急医として残らせてもらっていた時に、高齢者・寝たきり・発熱…また誤嚥性肺炎か、と同じような症状の患者さんが毎日のように運ばれてきて、治療してもすぐ次の日に運ばれて来て「自分は毎日毎日、一体何をやっているんだろう」と、不全感を感じることがとても多かったんです。
次第に「もっと上流にアプローチしたい」「診療所の医療も自分が携わったらいいんじゃないか」と思うようになり、4年目から家庭医療の世界に飛び込んでみました。

家庭医療の世界に足を踏み入れてからは、病室にいる誤嚥性肺炎のあの人というように、患者さんを病名でひとくくりで考えてしてしまっていたのが、○○さんと名前で呼べるようになり、「こんな人生の先にここに入院されている、誤嚥性肺炎の○○さん」というような、ストーリー性をもって診療ができるようになりました。

初期研修で印象に残っているエピソードはありますか?

沖縄で研修をすると、3か月ほど離島診療に従事する期間がありました。
僕は宮古島でそれを行ったのですが、宮古島では対応できない傷病が発生した場合はヘリを使い本島へ搬送することがしばしばあります。
そこで僕が診療をしていると、宮古島の人たちは「ヘリかね?」とたくさん僕に訊いてくるんです。

というのも、ヘリで運ばれるということは、愛する宮古島に戻ってこれないかもしれない、と彼らは知っているからでした。
ですから、宮古島の人たちはヘリには乗りたくないのです。そこで日常生活から切り離される苦しみを教えていただき、生活と医療のつながりを強く実感しました。
そして、今までの救急の活動では守れていないと感じました。それが、滋賀で家庭医療を勉強しに戻ろうと決意した大きな理由の一つですね。

病気ではなく、人を診るという感覚が身についた家庭医療の経験

家庭医療を始めてどんな変化がありましたか?

自分が医療を通じて守りたかったものが何なのか、それがより明確化しました。
医者が守るべき“生”というのは、急性期病院にいる間は「命を守る」という意味での“生命”だったのですが、診療所でご自宅に訪問して、患者さんの人となりを見ていくと、“生”が「人生」という意味や、「生活」という意味があって、こういう面を包括した意味での”生きる”を守りたかったんだ、とい う事を知れたというのが、家庭医療の一番の収穫だったと思います。

あとは、病気を診るではなく、人を診るという感覚が身に付けられたことです。
人の意思決定は直感的にしていることが多く、これは、その人の人生や、経験の集大成から導かれるものだと思うので、その人の意思決定を支援しようとするなら、その人のことを“識る”必要があると思います。分析的な見方ではなく、その人のことを深く識って、“うん、その選択、○○さんらしい!”と言える感覚が身に付けられたという事が収穫ですね。
分析的に理路整然と病気だけを見ることから、一歩前へ進むことができたと思います。

救急で課題を感じながらも、家庭医療学を用い人を診るということをされていると伺いましたが、救急医と家庭医療学が融合していくところは、どこなのでしょうか?

“熱が出たから、血培と痰を取って、採血して、レントゲン撮って抗生剤入れて病棟!”といった画一的な医療だけで終わらせない。
つまり、家庭医療で重要視される、その人の人となりとか、意思決定支援、その人を識るという事を救急外来のたった1時間でもやっていく!という事です。
また家庭医療学という学問を用いて理論的に実践すれば、救急外来の短い時間でもその人を識り、背景情報を迅速に理解し、良好な意思決定につなげていく事が可能だと考えています。

先生の考える総合診療のやりがいとは?

今となっては、誤嚥性肺炎の診療にこそやりがいを感じています。
病名で言えば全員、誤嚥性肺炎だけれども、誤嚥性肺炎に至った経過や、家族との関わり、家族の看取り方などは人それぞれなのです。
情報を引き出して、この人の意思決定支援にはこれがいい!と言えるように、物語を紡いであげることが重要だと思います。

そして、更に言うと、誤嚥性肺炎を患っている高齢者の方というのは、お体が弱っている方が多いですし、いずれは必ず看取ることになってしまいます。
ただ、たとえ転帰は「死亡」と変わらない結果であったとしても、そのときに遺族の方の気持ちが、「ああ、亡くなってしまったな…」という気持ちになるところを、自分がみることで、「ありがとうございました。おかげさまで大往生でした。」と思っていただけるかどうか。それが総合診療医としての腕の見せどころの一つなのかなと思っています。

そして、ご家族の方にそう言ってもらえる時に、総合診療医としてのやりがいを感じるんじゃないかと思います。

また、急性期病院でも人生に寄り添うことができるよとみせることで、若手の医師たちの“同じような症例が続いてしんどい”“自分じゃなくてもいい”という思いや、不全感が減っていくと思っていて、若手医師の教育という面でもこの観点は重要だと思います。
だからこそ、誤嚥性肺炎こそ奥が深いと思ってもらえるようになればいいなと思います。

先生のそのような感覚はいつ生まれたのでしょうか?

大きなきっかけは、沖縄の初期研修時代の症例です。

ずっと同じ症例の繰り返しばかりで不全感を感じていた時に、88歳のおばあさんが、急性左心不全で運ばれてきたんです。
ご本人は、「管とか入れなくていいから、早く逝かせてくれ。」と言って涙を流して訴えられたので、このままDNARで看取るのがいいんじゃないか?と思っていたのですね。
その時に、「お前はこのおばあさんの何を知っていて、この人の人生はもういいと思ったのか?」と指導医の先生に言われました。結果、その患者さんは指導医のICUで治療のもと、無事救命され自宅へ退院されていきました。

沖縄の上級医たちはみんな研修医時代のどこかでほぼ必ず離島を経験するので、生活に寄り添う・人生を背負うというという感覚は、非家庭医療医の先生でも持っています。
その時に言われた指導医の先生の言葉を、本当の意味で理解したのは、半年後にそのおばあさんの息子さんと会った時でした。機会があって、そのおばあさんの米寿のお祝いのDVDを見せてもらったのですね。
孫たちに祝ってもらって流しているおばあさんの涙は、病院に運ばれて来た時に流した涙とは全く別物でした。画面に映るご家族の方の顔も、本当に明るい顔をしていらっしゃいました。

ご本人がどういう人で、どういう生活を送ってきた人かも知らず、その場限りの状況で生死を判断すべきではない、ということに気付かされた瞬間でした。
それからというもの、自分は、患者さんの人生と生活を支えるために医者になったんだなと感じ、人生とか生活って何だろうと考えるようになり、次第にこういった感覚が生まれ、言語化されていったのだと思います。

まずは目の前の患者さんを大切にすること

先生の思う良い医者とは何でしょうか?

人間であることです。サイエンティストになりきらないという事が一番大事だと思います。
医学は理系の学問ですけど、医療を行う時は文系の感覚を持ち 続けるというか。サイエンティストでありながらも、文化学や人類学を知って、 その両輪の感覚をバランスよく持っている人がいい医者だなと思いますね。

今後、医者としてどのように人生を描いていきたいですか?

一番には、自分の生まれ育った地域、滋賀県彦根市稲枝への恩返しをしたいと思っています。将来は父の診療所を継ごうと思っているので、稲枝の人たちが、稲枝の中で豊かに暮らし、いずれ衰えたときに、稲枝の中で死にたいという方が望み通り稲枝の中で旅立てる、そんな医療サポートを作っていきたいと思います。

そうなると、診療所を支える親病院の急性期病院で、家庭医療学的なマインドを持つ医師たちが増えた方がより良い連携が取れると思っていて、今はこの急性期病院で自分の考え、つまり家庭医療学的なマインドを持つ医師を増やすために教育をしています。

稲枝の人たちが幸せになるためにという考えのもと、稲枝の人たちが安心して暮らせるような医療を提供していきたいですね。

全体の医療としては、自分のような考えを持つ先生が、それぞれの地域で頑張ってくれる状況がいいなと思います。
自分の好きな言葉に、故・若月俊一先 生が遺した“若者よ。若い医学生よ。私はもう一度君たちに呼びかけたい。 母なる、君らの故郷を愛せ”という言葉があるんですけれども、人が一人で助けられる規模は、やはり一つの地域に限られてくる思う(本当にすごい人はWHOとかに入って大規模に人を救っていけると思っていますが)ので、郷土愛を持った人達が、各都道府県にいるといいなと思います。

ですから、僕個人としては、東京に行かないとできないことではなく、各々の地域で、その地域を愛する人が、その地域の医療をサポートできればいいですね。

新たな世代の医者に向けてのメッセージをお願いします。

一番大切にして欲しいのは、目の前の患者さんに真剣にぶつかることです。

自分のキャリアプランには不必要とか、自分がやりたいことじゃないと思ってしまって仕事を取捨選択するのではなく、日々目の前にいる患者さんに対して、全力であってほしいと思います。やはりそこがおろそかだと土台が不安定になってしまい、マインド無き理念に代わってしまうと思うので、ひたすら真摯に医者として向き合って欲しいです。
目の前のことに全力であればあるほど、中長期的なキャリアはおのずと広がってくると思います。

もう一つ、僕の大好きな言葉があって、米国で ACTG や CROI といった組織を 作り HIV 感染症診療に大きな貢献を残した Robert Schooley 先生の言葉で“どんな偉大なことを成し遂げる医師になろうとも、最初は最良の臨床医であることだ”という言葉があります。たとえ何か大きなことをしたくても、まずは目の前の患者さんを大切にすることが重要だと思うので、それを忘れないで欲しいです!

PROFILE

徳田 嘉仁
徳田 嘉仁Yoshihito Tokuda

所属医院・担当SPECIALTY

近江八幡市立総合医療センター/滋賀家庭医療学センター 救急医×総合診療医

経歴CAREER

2013年に大阪医大を卒業。
その後、沖縄県立南部医療センター こども医療センターで3年間の初期研修。
翌年2016年から、医療法人社団弓削メディカルクリニック滋賀家庭医療学センターに勤務。
現在は、近江八幡市立総合医療センター/滋賀家庭医療学センターで救急×家庭医として活躍中。

目の前の患者さんに真剣にぶつかること。病気を診るではなく、人を診ること。

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